イチエの頭の中。

昨年八戸にUターン移住。八戸の暮らしや移住、はたらく、女の人生などについてつらつらと。

じいちゃんのこと。

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2016年10月28日。

じいちゃんが88歳で亡くなった。

じいちゃん子だったわたしは、子どもの頃はご飯もお風呂も寝るのも宿題するのもじいちゃんと一緒でした。幼稚園にもよく送ってもらったし、畑で芋掘りしたりもしました。

じいちゃんと一緒に写ってる写真がたくさん残っています。どの写真もニコニコしています。


18歳で八戸を出てからは、年に2回帰ってこれればいい方だった。長い時だと1年半帰らなかったこともあった。このペースで帰っていて、あと何回じいちゃんに会えるのかなあとふっと頭をよぎったことももちろんありました。実家から帰る時には手を握って「じいちゃん戻るよ、また来るね。それまで元気でいてよ」と声をかけると「また来いよ、すぐ来いよ」と言って笑った。

ここ数年、じいちゃんはまたあちこち悪くしていた。だから、Uターンしてきて、じいちゃんにたくさん会いに行こうと思っていたけど、2回しか行けませんでした。

こっちに帰ってきて初めて病院に行った時、「イチエだよ。これからはずっと八戸にいるよ」と声をかけたら、それは通じたみたいで、じいちゃんは頷いた。

2回目は、すごくしんどそうに息をしていて、顔を見て手を握ってすぐ帰ってきてしまった。

そして、わたしがUターンして1カ月経たないうちに、じいちゃんは病院で亡くなってしまった。

20歳になったら韓国に連れて行くと言ったことも、ひ孫を抱っこさせると言ったことも、できなかった。可愛がってもらったのに、なにも返せなった。じいちゃんと向きあいきれない不甲斐ない孫でごめんねという気持ちと、晩年は体のあちこちが悪くなって、動かなくなったり入院したり、すごく苦しんでたので、もう苦しくないねよかったねという気持ちでいっぱい。

 

今日、じいちゃんの火葬でした。

じいちゃんの棺には、これまで可愛がってくれてありがとうと書いた手紙を入れました。

じいちゃんに持たせたいものリストには、元漁師だったじいちゃんがまた海で楽しめるように「釣り竿」と、釣った魚をさばいて刺身をたべれるように「出刃包丁」と、体を悪くしてから飲まなくなってた「ワンカップ」と書きました。

昨夜は孫が葬儀場へ集まって、みんなでじいちゃんが好きだったケンタッキーをたべました。

なんでも食べるじいちゃんで、お肉もカレーもメロンパンも好きでした。年を取っても、どんぶりみたいな大きい茶碗でモリモリと白米を食べていました。勢いが良すぎてよくこぼしていたけど。

長い長い人生を終えたじいちゃんが、これからは美味しいご飯と美味しいお酒をゆっくりと楽しめるように、心から祈っています。